お笑い芸人として独特な下ネタ芸風で知られる紺野ぶるまさん。過激なネタが話題を集める一方で、彼女の素顔や過去についてはあまり知られていません。本名は公開されているのか、結婚した旦那さんとの馴れ初めは、そして高校時代に何があったのか。今回は紺野ぶるまさんが芸人になるまでの経緯について詳しく紹介します。

紺野ぶるまの本名は公開されている?

紺野ぶるまさんの下の名前は「友里恵(ゆりえ)」です。2025年7月31日深夜に放送されたテレビ番組「何か”オモシロいコト”ないの?」内の芸能人の本名当てクイズ企画で明かされました。一方で名字については現在も非公開としており、その理由は名字が非常に珍しいためだそうです。

名字を明かせない理由

彼女は名字について「一族の恥だ」という理由で絶対に明かせないと語っています。下ネタを中心とした芸風で活動しているため、珍しい名字を公表すると一族に迷惑がかかる可能性があるという配慮からでしょう。インターネット上では過去の活動から「門井友里恵」ではないかという推測もありますが、公式には確認されていません。

紺野ぶるまの旦那との出会い

紺野ぶるまさんは2019年4月25日、平成最後の大安の日に会社員の一般男性と結婚しました。旦那さんは彼女と同い年で、出会いのきっかけは渋谷の深夜3時の居酒屋でのナンパでした。

衝撃的なプロポーズ

ナンパの際、男性は「ひと目ボレしたんで、結婚してください」といきなりプロポーズしたそうです。突然のことに紺野さんは結婚詐欺を疑い「怖いから、保険証を見せて」と要求しました。すると彼はすぐに社会保険の保険証を提示し、会社名や住所、名前が載っていたため「ちゃんとした大丈夫な人なんだ」と安心して連絡先を交換したといいます。

芸人であることを隠していた交際期間

交際当初、紺野さんは自分が芸人であることを隠し「歯科助手」だと伝えていました。後にお笑い芸人だとバレた際、彼は「何も変わらないので(クーリングオフは)しません」と答え、彼女の努力を評価してくれたそうです。現在も夫は彼女がお笑いを続ける上でメンタルを支えてくれる大きな存在だと語っています。

紺野ぶるまの子供について

紺野ぶるまさんは2022年2月22日に第1子妊娠を報告し、同年4月13日に第1子を出産しました。現在は一児の母として育児と芸人活動を両立しています。

産後のホルモンバランスの変化

出産後はホルモンバランスの変化により、夫に対し「うわっ顔デカ!毛穴デカ!こんなデカかったの、この人?」と感じ、嫌悪感を抱いた時期があったと明かしています。産後特有の心身の変化について率直に語る姿勢は、多くの母親たちの共感を呼びました。

紺野ぶるまの高校時代

紺野ぶるまさんは東京都内の私立女子高校に入学しましたが、高校2年生で中退しています。中学時代は優等生でしたが、高校でギャルになり、ギャル雑誌『egg』に憧れて金髪やガングロ、短いスカートで過ごしていました。

問題行動の数々

校則に反発し、授業中に寝たり、トイレに隠れたり、深夜徘徊を繰り返していたそうです。年間100回以上の遅刻を重ね、先生に目をつけられていました。当時の彼女は学校生活に馴染めず、反抗的な態度を取り続けていたといいます。

退学の決定打となった事件

高校2年生の時、イエローカード(あと1回何かやったら退学)が出ていたにもかかわらず、再び遅刻しました。寒くておでんを食べながら登校した際、校長先生が校門の前で待ち構えていました。その校長の周りをおでんの汁で囲んで悪態をついたことで、翌日親が呼び出され退学が告げられたのです。

「腐ったみかん」と言われて

校長からは「お子さんは腐ったみかんです」と言われ、退学させられた時は母親から「もうお母さんと一緒に死のう」と言われたことも明かしています。退学後は「生きているのか死んでいるのか分からない」ような毎日が続いたと振り返っています。

中退後の後悔と気づき

自分は学生でも社会人でもない孤立した存在だと、どんどん卑下していったそうです。中退したことを非常に後悔しており「未だに(高校で楽しく勉強している)夢を見る」と語っています。その後、通信制高校に入学して高卒資格を取得しました。しかし中退したことで「一般的でないことが怖くなくなり、お笑いの世界に飛び込めた」とも述べています。

紺野ぶるまの生い立ち

紺野ぶるまさんは1986年9月30日生まれで、東京都および静岡県出身です。主に東京都三鷹市で育ちました。男兄弟の中で育ち、5歳の時に心房中隔欠損症の手術を受けており、服を着ていても見える大きな手術の傷があるそうです。

習い事に明け暮れた幼少期

小学校時代は英会話、バレエ、水泳、ピアノ(6〜7年)、書道(初段の段位を持つ)、学習塾など多くの習い事をしていました。中学時代はバドミントン部に所属し、東京都大会でベスト8の成績を残しています。英検3級も所持しており、文武両道の優等生だったことがわかります。

紺野ぶるまが芸人になったきっかけ

当初はモデルやタレントを志していましたが、怪しい事務所に初期費用を請求されるなどトラブルを経験し、諦めることとなりました。

くまだまさしに憧れて

テレビでくまだまさしさんのネタを見たことに憧れ、21歳の時に松竹芸能の東京養成所に入所しました。当初は芸人コースではなくタレントコースでしたが、レッスンで笑いを取ることに目覚め、芸人を目指すようになったのです。

ピン芸人としてのデビュー

2009年に養成所を卒業し、ピン芸人として活動を開始しました。デビュー当初は芸名通りブルマーを衣装にしたネタ(ブルマニアン)を行っていましたが、世間とのズレや賞レースで結果が出ないことから2011〜2012年以降は封印しました。

現在の芸風の確立

その後、現在の代名詞である、どんなお題でも「ち○こ」で解く「ち〇こ謎かけ」を得意とするようになりました。この独特な芸風が注目を集め、テレビ番組への出演も増えていきました。

まとめ

紺野ぶるまさんの本名は下の名前のみ「友里恵」と公開されていますが、名字は一族への配慮から非公開です。ナンパがきっかけで出会った会社員の旦那さんと結婚し、現在は一児の母として活動しています。高校退学など波乱万丈な人生を経て、現在の独特な芸風を確立した紺野ぶるまさんの今後の活躍にも注目です。