日本を代表するシンガーの一人、椎名林檎さん。実は「椎名林檎」というのは芸名なのですって。
今回は椎名林檎さんの本名や芸名の由来、結婚歴などについて調査しました。
椎名林檎の本名や芸名の由来は?
椎名林檎さんの本名は「椎名裕美子」だとされています。名字は自身の物を使っているのですね。
ではどうして「椎名林檎」という芸名になったのかですが、椎名林檎さんが子どもの頃に恥ずかしがり屋でよく頬を赤くしていたことが由来の一つなのだとか。また、自身がバンド活動でドラムを担当していたことから、ビートルズのドラム担当「リンゴ・スター」さんから名前を貰ったという側面もあるようです。
芸名は間に合わせの側面も
椎名林檎さんはデビュー前、フリーター生活をしながらバンド活動をするという日々を送っていましたがコンテストに出場する際に、当時のバンドがワンマンバンド状態だったことに気づいた大会ディレクターにソロでコンテストに出場することを薦められ、急遽ソロ転身となりました。芸名を考える時間がそんなにない中で、間に合わせのようにつけた名前が「椎名林檎」だったのですが、その後「りんごのうた」をリリースするなど、かなり椎名林檎さんに馴染みましたよね。
椎名林檎の結婚歴は?
ここからは椎名林檎さんの結婚歴について紹介します。
弥吉淳二と結婚
椎名林檎さんは2000年にギタリストの弥吉淳二さんと結婚しました。弥吉淳二さんは1968年生まれで椎名林檎さんの10学年年上、元々音楽ユニット「stereo criminals」で活動されていた方で、同ユニット解散後は吉川晃司さん、aikoさんなどのサポートギタリストを担当、楽曲提供や編曲、プロデュース業なども行った音楽人でした。
結婚と同時に妊娠発表
弥吉淳二さんは椎名林檎さんのバックバンド「虐待グリコゲン」の二代目ギタリストも担当しており、それだけに椎名林檎さんと過ごす時間も長かったのでしょう。二人は2000年に結婚に至り、2001年に結婚を発表、その際に椎名林檎さんの妊娠も発表されました。
当時弥吉淳二さんは前妻との離婚からそれほど時が経っていなかったという情報があり、結婚から報告が遅れたのもその影響ではないかと言われています。
弥吉淳二とは2002年に離婚
しかし椎名林檎さんと弥吉淳二さんは2002年に離婚しています。お子さんが誕生してから約一年というタイミングでの離婚、結婚からも二年経つか経たないかというタイミングです。スピード感が凄いですね⋯⋯。お子さんは椎名林檎さんが引き取りました。
離婚後も弥吉淳二さんとの交流はあったという情報もありますが、弥吉淳二さんは2018年に病で亡くなっています。2年以上にも渡る闘病生活を送っていたようですが、本人の希望により病気を公表していなかったらしく、突然の訃報に驚き悲しむ人も多くいました。
児玉裕一と事実婚?
その後椎名林檎さんは映像ディレクターの児玉裕一さんと交際されています。児玉裕一さんは1975年生まれで椎名林檎さんの3学年上、安室奈美恵さんや宇多田ヒカルさんなど名だたるアーティストのミュージックビデオを手掛けてきた名ディレクターで、様々なCMやオリンピックの映像にも関わっています。
児玉裕一さんが手掛けた椎名林檎さんや東京事変のミュージックビデオは特に多く、40作品以上に上ります。そんな訳で関係の深かった二人ですが、「結婚はしておらず事実婚状態にある」という説が根強いですよ。
2011年頃から交際スタート?
二人は2007年、東京事変の楽曲「OSCA」のMV制作の際に知り合ったと言われており、2011年頃に交際に至ったようです。そして椎名林檎さんは2013年ごろに自身の第二子を出産されているのですが、このお子さんの父親が児玉裕一さんだと見られているのですね。
公式に結婚したという発表をしていない椎名林檎さん。「東京都在住の児玉裕一さんが埼玉県に住む椎名林檎さんの元へ通う」という事実婚スタイルでこれまで生活してきたようです。
椎名林檎の子どもは?
椎名林檎さんの第一子となる長男と第二子となる長女については、椎名林檎さんの兄、シンガーソングライターの椎名純平さんが自身のラジオでそれぞれ「空遥(そなた)」「乃亜(のあ)」と名前を呼んだとされています。
椎名林檎さんの10周年のライブでは当時7歳の空遥さんが若旦那としてナレーションを行っており、20周年ライブでは当時5歳の乃亜さんがナレーションを務めたとする情報もあり、親子共演も行ったようですね。
椎名林檎には子どもが三人いる
2024年のテレビ番組出演の際には「一番上が22ぐらい、一番下が小2、間に小5の子もいます」と、自身の子どもが3人いることを明かしていた椎名林檎さん。2016年頃に第三子が誕生していたことになりますね。第三子は男の子のようですが、名前についての情報はありません。
娘デザインのネックレスでMV撮影
椎名林檎さんが2017年に公開したMV「人生は夢だらけ」では、椎名林檎さんが当時4歳の自身の娘が手作りしたネックレスを身に纏ってMV撮影を行ったそうです。MVの監督を務めたのは児玉裕一さんで、自身が着ているコートは母親から引き継いだ物だという情報も。家族の愛に溢れた椎名林檎さんのMVはYouTubeから見る事ができます。
出典:椎名林檎
椎名林檎の経歴
幼少期からピアノを習っていた椎名林檎さんは、中学時代にバンド活動を経験し、高校では軽音楽部で様々なバンドで色々な楽器を担当、自身で楽曲作成も行うようになりました。その過程でミュージシャンとしての実力を磨いた椎名林檎さんは、1996年に「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」で優秀賞を獲得。1998年に東芝EMIからシングル「幸福論」でデビューを果たしました。
東京事変としても活動
1999年のファーストアルバム「無罪モラトリアム」がミリオンヒット、セカンド・アルバム「勝訴ストリップ」が230万枚を超える大ヒットとなるなど、デビューから程なくして売れっ子シンガーとなった椎名林檎さんは、2003年にロックバンド「東京事変」を結成。こちらも強い支持を集める人気バンドとなり、椎名林檎さんはソロとバンドの両軸で活躍を続けていきました。
最後に
今回は椎名林檎さんの本名や芸名の由来、結婚歴などについて紹介しました。テレビ番組でサラッとお子さんの情報を話された時には、驚いたファンも多かったのではないでしょうか。椎名林檎さんのこれからの活躍にも要注目です!