開催の時が迫る大阪万博。プロデューサーの一人である落合陽一さんは、壮絶な生い立ちの持ち主だと言われています。
今回は落合陽一さんの生い立ちについて紹介します。
父は国際ジャーナリストの落合信彦
落合陽一さんの生い立ちを語るのに欠かせない存在である父親、落合信彦さんは国際的に活躍するジャーナリストでした。
国際情勢や諜報関係の事情をレポートした著書が多数あり、またそれらを題材とした小説も書かれている他、洋書の翻訳や若者向けの人生指南書を多数執筆されています。
かつては作家として長者番付に載ったこともありましたが、一方でジャーナリストでありながら「嘘つき」と著名人含む多くの方から指摘、批判されている人物でもありますよ。
落合陽一は祖父母の下で育つ
落合信彦さんが45歳の時に生まれたという落合陽一さん。ですが両親とも多忙だったため、基本祖父母の下で育ち、両親は週に1回落合陽一さんに会いに来るという生活が高校生まで続いていたそうです。
あまり子育てに参加しなかった落合信彦さん。そんな父が嘘つき呼ばわりされていることに、息子の落合陽一さんは複雑な思いを抱えているのではないかと思いきや、父の家庭での話は息子の身でも話半分で聞く癖があったようですよ。
落合陽一は神童だった!?
落合陽一さんは小さい頃から神童と言われていたそうです。そのまま成長していき、名門である開成高校で同級生からも天才と一目置かれ、数学の偏差値も99あったという逸話がありますよ。
ちなみに、落合陽一さんのお母さんは航空会社のCA、更にメディア放送関連の会社の経営や音楽プロデューサーとしての経歴もあるキャリアウーマン。祖父も元官僚、大蔵省の官僚や税理士となったエリートだったそう。
家族も揃って優秀な方だったのですね。
特殊な学習環境で育つ
神童、落合陽一さんは当然自身の生まれ持った才能などもあったのでしょうが、一方で幼い頃からの学習環境などについても、正しくエリートを養成するような環境にありました。
教育方針は両親と祖父母が話し合って決めたそうですが、その内容は「午前中だけ幼稚園に通わせ、午後からはマンツーマンで様々な習い事をさせる」というもの。習い事の内容はピアノ、空手、絵画、算数などがあったそうです。
一方で、家には小学校の図鑑が全種類揃っていたなど、自分で学ぶ環境は揃っていたこともあり、落合陽一さんは自由に育ったとも言われています。
東大受験は失敗
子供の頃からずっと天才だった落合陽一さんですが、大学受験の際には東京大学受験に二度落ちています。筑波大学情報学群情報メディア創成学類を卒業し、東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻博士課程を修了していますよ。
なんでも、落合陽一さんは受験対策なしで受験に挑み、合格するものだと考えていたそう。「自頭で解くものだとずっと思っていた」と、自力での合格を目指したものの、流石にそれは叶わなかったということのようです。
落合陽一は病気を抱えているという噂も
落合陽一 病気を抱えているという噂もあります。過去に「緑内障」という病気の検査に引っかかったことがあるそうです。
緑内障は眼圧が異常に高まることで視神経に障害が生じ、結果として視野が狭くなったり部分的に視力が失われたりする状態を指します。
落合陽一さんが検査に引っかかったというのは自身が話したことのようですが、明確に病気になったわけではないようですよ。
ADHDという噂も?
また、落合陽一さんはADHDと言われる事が多いとも語っています。衝動性、多動性、物忘れなど、ADHDの方に見られるような特徴があることを自分でも認めているのですね。
ただ、落合陽一さん自身は自分のことをADHDとは思っていないとしています。「障害とは言わないまでも、それ相応に出来ないことが多すぎる」ということのようです。
ADHDのようなものと長く付き合っていくために,衝動性・多動性と物忘れと様々なこととどう向き合っていくか|落合陽一 (note.com)
最後に
今回は落合陽一さんの生い立ちなどについて紹介しました。
約一年後に控える大阪万博。無事に開催されると良いですね!