2019年のノーベル化学賞が10月9日に発表され、「イヒ」のCMでおなじみの旭化成名誉フェローである吉野彰(よしのあきら)さん(71)の受賞が決まりました。
吉野彰さんは、携帯電話やノートパソコン、電気自動車(EV)に使われるリチウムイオン2次電池の発明者の1人です。
大阪府吹田市出身の吉野彰さんは多くの研究仲間から信頼される洞察力や人柄の持ち主だそうですが、ネット上では笑顔がかわいいと評判です。
そんな吉野彰さんの若い頃が昔イケメンであったと、ネットで話題になっています。
そこで、今回は、
吉野彰の若い頃がイケメンすぎw昔の画像写真や動画まとめ!
と題しまして、吉野彰さんの若い頃がイケメンであったのか、昔の写真や動画をまとめていこうと思います。
吉野彰の若い頃がイケメンすぎw昔の画像写真や動画まとめ!
まずは吉野彰さんが5歳ごろの写真をどうぞ。
吉野彰さんが化学に研究を持たれたのが小学4年生のころだそうです。担任の先生が化学の先生で、とても熱心な先生だったため、中・高でも得意科目になったそうです。
大学進学の時からノーベル賞受賞を意識していて、「独創的な研究が出来そう」という理由で京都大学に入学しました。
高校時代に遺跡発掘を手伝った経験もあり、大学では専門外である考古学研究会に所属し、遺跡発掘に携わったそうです。石油化学が当時の最先端だったから、一番古いところの考古学というのが決め手だったそうです。
考古学研究会に所属していたころの吉野彰さんがこちらです(前列左から3人目)。
大学院で量子有機化学を専攻した後、1972年に旭化成工業(当時)に入社しました。
旭化成工業(当時)に入社した1972年の吉野彰さんがこちらです。
吉野彰さんが5歳ごろは素朴な少年、といったイメージですが、大学生~社会人にかけてはイケメンといえそうです!
イケメンの吉野彰さん、入社2年目から、新しい研究のたねを2年刻みで生み出す探索研究をし、4つ目のテーマがリチウムイオン電池の開発でした。研究を始めたときの吉野彰さんの年齢は33歳でした。
2017年からは名城大(名古屋市)の教授に就任し、共同研究に携わった名城大の教授によれば「とにかく優しく、自分の考えも受け止めてくれる」と包容力の高い人柄を説明しています。
名城大理工学研究科の1年生は吉野彰さんにロボット工学の研究について相談したところ、「若いうちに壁にたくさんぶち当たったほうがいい」と助言をくれたそうです。
大学の授業中もいつも笑顔で、「いつも優しい先生」と学生たちから人気が高いそうです。
吉野彰は何をしたの?
吉野彰さんは、リチウムイオン二次電池を開発した功績を讃えられ、ノーベル化学賞を受賞しました。
リチウムイオン二次電池は、スマートフォンや電気自動車のバッテリー、また飛行機の期待まで幅広く採用されており、生活から切っても切り離せないほどの発明であるといえます。
一次電池と二次電池の違いは、一次電池は充電が不可能で、二次電池は充電が可能というものです。
吉野彰さんは、2019年のノーベル化学受賞者である3人のうち、吉野彰さん以外の2人が築いたリチウムイオン二次電池の研究を基に、1985年に世界で初めて商業化に耐えられるリチウムイオン電池の開発に成功したことから、「リチウムイオンの父」と呼ばれています。
まとめ
今回は、
吉野彰の若い頃がイケメンすぎw昔の画像写真や動画まとめ!
と題しまして、吉野彰さんの若い頃がイケメンであったのか、昔の写真や動画をまとめていきましたが、いかがでしたでしょうか。
リチウムイオン電池を開発し、2019年ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんはネット上では笑顔がかわいいともっぱらの評判です。
そんな吉野彰さんの小さい頃や、1972年当時(47年前)の写真を入手しましたが、確かにイケメンであったといえそうです。
また吉野彰さんは多くの研究仲間から信頼される洞察力や人柄の持ち主で、2017年から教授を務める名城大の生徒からも慕われており、外見だけでなく中身もイケメンであることが分かりました。
若い頃イケメンで、現在は笑顔が可愛く、人柄も素晴らしい吉野彰さんは、誰もが出来ない技術を実現して社会に貢献しました。
そんな吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されたことを、心から嬉しく思います。